ぼくの2年間はマンパワー→ボランティア活動→マンパワーだった
2年間の青年海外協力隊の活動を振り返ってみると、ぼくは配属先職員とJICAボランティアの二足の草鞋を履いていたと気がついた。
マンパワー(労働力)として下積み時代もあったし、ボランティア活動に熱中する時期もあり、そして今は同僚たちにいろいろ教えている。
ボランティアの活動手法は人それぞれ違うのだが、せっかくなのでぼくの活動パターンを公開しようと思う。
これから青年海外協力隊になる人に参考にしてもらいたい。
青年海外協力隊の要請内容
そもそも、ぼくは中米パナマ共和国の農牧省に農業技師として派遣されて、保健省の栄養改善プロジェクトに出向していた。
配属先は農牧省のカニャーサス村支所で、所長が1名、職員が5名の小さな地方分所だ。
カウンターパートは専門学校卒の農業技師。
JICAから渡された要請内容には、保健省の栄養改善プロジェクトへ協力するように記載されていた。
結果的には2014年10月に栄養改善プロジェクトが崩壊するまで、ぼくは栄養改善プロジェクトをメインとして活動していた。
参考:相棒が指を切断、プロジェクトが崩壊、ぼくは40度の熱で寝込んだ。
配属先職員としての仕事
2013年7月末から配属先の農牧省で働き始めた。
1.スペイン語が話せない
当時はスペイン語が全く話せなかったので、同僚ともまともに会話が成り立たなかった。
しかもカウンターパートが日本でJICAの有機農業の研修を受けていたので、9月末まではボランティア活動らしい活動は一切なかった。
そのせいで配属先の所長から、「お前は役立たずだから、日本へ帰れ!」とクビ宣告を受けた。
参考:「日本に帰れ!」の一言がなかったら、今頃ぼくは日本に帰っていただろう。
青年海外協力隊はたまにJICA専門家と間違えられることがあり、語学も専門知識も堪能だと思われてしまうが、蓋を開けてみたら全然スペイン語も理解できない子供のような見た目の中国人だったということになる。
2.できることをやろう
クビ宣告はかなりショッキングなできごとで、「このままではヤバい」と思った。
しかし、スペイン語は全く話せないし、頼りのカウンターパートもいなかったので、ぼくには農業技師としての活動はできなかった。
そこで、できることをすることにした。
具体的には、以下のような雑務である。
・国旗の掲揚と片づけを行う
・汚れた車を洗う
・事務所に来た子供のお守り
・職場のゴミ拾い
・同僚の写真撮影
・重たい荷物を運ぶ
・野菜の種を小分けにする作業を手伝う
・講習会のための会場準備を手伝う
・草むしりをする
・畑で農作業を手伝う
・もみがらの山で、もみがらを袋に詰める
超地味で、日本だったら高校生のアルバイトがやるような雑務を率先して行った。
今振り返ってみると、完全に下積み時代だった。
3.同僚との仲が縮まり、所長から認められ、パナマの農業を覚えた
高校生のアルバイトがやるような雑務をこなしたことで、仕事が減った同僚からは喜ばれた。
最初の頃のぼくは「マンパワー」になっていた。
例えば、巨大トレーラー2台分のサトウキビの山をみんなで片づけたのは、今でもいい思い出だ。
スペイン語の壁が立ちはだかっていたが、肉体労働を一緒にすることで少しずつ距離が縮まっていった。
クビ宣告をした所長からもスペイン語が話せないけど、やる気はあることが伝わったようで、それ以降クビ宣告を受けることはなくなった。
逆に配属先職員として認識され、他の村の事務所への出張や配属先での業務を少しづつ頼まれるようになった。
しかも、農業に詳しいパナマ人職員と一緒に農作業を行ったことで、少しずつパナマ流の農業のやり方を覚えることができた。
参考:2種類のからし菜料理でもダメ!野菜を食べる食文化がない中南米に野菜栽培を普及する難しさ
4.業務の中に少しずつ個性を発揮した
農牧省の職員としてのできるようになった業務の中に、少しずつ個性を出していった。
例えば、ただ野菜の種を播くのではなく、発芽試験を行ってから播くようにした。
展示圃場ではトウモロコシやコメを育てていたが、トマトやピーマンなどの野菜を育てるようになった。
さらに、ビニールマルチを試したり、稲わらマルチを試したり、空心菜を試したり、有機肥料を試したり、ドンドンぼくの個性を発揮するようになった。
展示圃場では、野菜栽培に関する技術をできるだけ見せながら、同僚たちに伝えることにした。
もちろん興味を示さない同僚もいたが、面白がってマネする人もいた。
座席さえ空いていれば、巡回指導に積極的に着いて行き、同僚の仕事のやり方と農民の暮らしを学んだ。
2年間で100個近い集落へ足を運んだと思う。
巡回指導に着いて行ったときも、病気の対策を教えたり、比較栽培を提案したり、肥料の作り方を簡素化したり、意見を言うようになった。
そして、事務所で開催される簡単な講演を任されるようにもなった。
5.ボランティア活動へ力を注ぐようになった
しかし、2014年からは配属先職員としてよりも、JICAボランティアとしての活動に力を注ぐようになった。
パナマの農業のことが少しずつ理解できて、しかも赴任から半年経ちスペイン語がなんとなく話せるようになったからだ。
JICAボランティアとしての活動
JICAボランティアとしての活動を説明しよう。
1.巡回指導
栄養改善プロジェクトでは、カウンターパートと共に週に2~3回巡回指導に同行した。
山奥の集落へ行き、学校菜園で村人に農業技術を教えていた。
しかし、この活動は栄養改善プロジェクトの業務として決まっていたことだったので、村人が本当に必要としていることを理解できていないことがストレスになっていた。
そこで、山奥の集落に泊まり込んで、村の問題を調査することにした。
配属先職員は泊まりこんで調査をすることはないので、これを行うことは配属先の業務ではなく、ここから先はボランティアとしての活動と認識していた。
2.滞在調査
一人で栄養改善プロジェクトの対象になっている山奥の集落へ泊まり込み、村人と交流を重ねて村のニーズを探っていた。
次第に協力隊っぽい活動が始まって、楽しくてしょうがなかった。
次第に活動集落と農民グループを絞り、気が合った農民リーダーの活動を支援するようになった。
奇跡的に野菜栽培に意欲的なグループが見つかったので、彼らを支援した。
参考:メタファシリテーション9ヶ月間!フィールド調査団の野菜ビジネス計画が村人主導で始動した。
3.要請内容の消滅
まさに青年海外協力隊っぽい活動ができていたが、突然栄養改善プロジェクトが崩壊して、一気にリズムが崩れた。
しかも雨が降らない乾季になったので、すべての農業活動が4ヶ月間停止した。
プロジェクト崩壊後には、連絡を取りながらプロジェクトがない状態での村人のグループ活動を見守ることに徹している。
参考:青年海外協力隊の要請プロジェクトが崩壊したおかげで、忘れかけていたボランティア活動のモットーを思い出せた。
ボランティア活動に集中していた時期には、配属先職員としての業務はかなりサボっていた。
サボっていたというか、山奥の集落へ泊まり込んでいたので、自然と職場に顔を出す回数が減っていた。
再度、配属先職員としての仕事に力を注ぐ
最近は、再び配属先職員としての仕事に力を注いでいる。
1.農業の技術指導
同僚の巡回指導に着いて行き、展示圃場の農作業を手伝い、同僚の雑務を手伝っている。
赴任直後と違うのは、野菜栽培の知識を尋ねられるということだ。
一緒に仕事をしてきたことで「熱帯農業のことは詳しくないが、野菜栽培については詳しい男」として認識された。
2.基礎的な知識を教える
同僚に農業以外の基礎的なことを教えている。
意外なところだと、同僚にワードとエクセルの使い方を教えたり、農薬の希釈倍率の計算方法や、畑の面積を出すために図形の面積の公式を教えたところ、かなり喜ばれた。
また小学校しか卒業していない年配の職員には、地球は丸い惑星であることと、太陽の周りを地球が回っていることを教えてあげると、かなり驚いていた。
彼にはパナマの伝統的な農業について教えてもらっているので、知識の交換をしている。
3.展示圃場の充実
最近は展示圃場をパワーアップさせている。
稲わらマルチや有機肥料作りをしていて、事務所を訪れた村人に効果を説明している。
展示圃場は村人のためでもあるし、同僚に技術を伝える場所でもある。
マンパワーからボランティア活動を行い、そしてマンパワーへ
ぼくの2年間のボランティア活動を振り返ってみると、マンパワーとして働きながらスペイン語とパナマの農業を覚え、個人でボランティア活動を行い、そしてマンパワーとして野菜栽培を教えている。
時期 | 主な活動内容 |
赴任から半年 | 配属先でマンパワー |
半年から一年半 | 個人的なボランティア活動 |
一年半から二年 | 配属先でマンパワー |
活動時期によって重視している活動は異なるが、常に両方の活動がある。
青年海外協力隊は一人一人活動手法が異なる。
最初から一人で活動する人もいるだろうし、ずっとマンパワーとして活躍する人もいる。
どのような働き方だとしても、ボランティアがやりがいを感じ、派遣国のためになることが大切だと思う。
まとめ
青年海外協力隊・野菜栽培としての2年間の働き方を振り返ってみた。
ぼくの2年間は「マンパワー→個人的なボランティア活動→マンパワー」という流れだった。
これから青年海外協力隊に派遣される人は、どのような働き方になっても充実した2年間を送ってほしい。
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