【青年海外協力隊の失敗エピソード】「日本に帰れ!」の一言がなかったら今頃ぼくは日本に帰っていただろう。

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活動の進展報告書

今日は活動の進展報告書を作成し、仕事上の相棒であるカウンターパートに説明し、プロジェクトの代表者にも提出して来た。

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活動の進展報告書は、特に決まった期日や期間は設けていないが、およそ一ヶ月に一度作成し、仕事上関係するパナマ人に提出している。

進展報告書はJICAとは関係がいない、自主的な活動だ。

ぼくが進展報告書を作るようになったのは、直属の上司である農牧省の事務所の所長の一言がきっかけだった。

 

「日本に帰れ!」

まだ職場に配属されて三か月も経っていない頃、所長から「お前は役に立っていないから、日本に帰れ!」と言われた。

所長はブラックジョークを言うのが好きな人なので、その時も笑いながらジョークのつもりで言ったと思うが、正直ショックだった。

しかし、役に立っていないというのは本当にその通りで、当時のぼくはスペイン語が全く話せず、活動も軌道に乗っておらず、何も出来ない使えない子だった。

所長から見たら、ただのお荷物である。

クビにならないためには何をすべきか?

「日本に帰れ!」というのは、事実上のクビ宣告である。

ぼくはパナマでの活動を続けたかったので、クビにならないためには何をすべきか?を必死に考えた。

そして、せめてやる気があることだけでも伝えようと思った。

スペイン語が話せないし、活動も出来ていなかったが、どちらもやる気はあった。

ただ、実力が伴っていなかっただけだ。

そこで、「パナマに来た目的」と「こんな風に活動がしたい」という提案書を作成し、所長に直談判した。 WS000047_533

当時のぼくのスペイン語能力では、箇条書きに毛が生えた程度の文しか書けなかった。

 

そして進展報告書の誕生

その後も、「日本に帰れ!」と言われないために、定期的にやる気を示すために報告書を出し続けた。

最初は所長だけだったが、他のパナマ人にも「日本に帰れ!」と言われるかもしれないと考え、カウンターパートやプロジェクトの上司にも提出するようにした。

そして、次第に活動の成果も生まれたので報告書の質が向上し、スペイン語も上達していったので報告書の文章量も増加した。

ぼくの協力隊活動は、報告書と共に成長していったと言っても過言ではない。

そして、その報告書のおかげで、所長やカウンターパート、プロジェクトの代表などとも情報の共有が出来ており、彼らの協力がぼくの活動の助けとなっている。

もしあの日所長から、「日本に帰れ!」と言われなかったら、今のように活動が上手くいかず、自暴自棄になり日本に帰っていたかもしれない。

ボランティアだからと甘やかさずに、厳しく指導してくれた所長に感謝している。

これからは、彼ら周囲のパナマ人に恩返ししたい。

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