活動の振り返り
今年も残り三週間になったので、今年のボランティア活動を振り返ることにした。
学校菜園の巡回指導
2014年は学校菜園の巡回指導に、週に2回程度の頻度で参加していた。
農牧省の農業技師と共に、栄養改善プロジェクトの学校菜園と、銀行コンテストの学校菜園の指導に当たった。
有機肥料の作り方、苗床の作り方、種の播き方、水やりの方法、移植の方法、肥料の施し方、追肥のタイミング、収穫時期などのあらゆる農業技術を村人に教えた。
無電化集落での滞在調査
今年は無電化集落での滞在調査を、「20回」実施した。
一回の滞在調査の期間では1泊2日から7泊8日まで様々だが、平均したら「3泊4日」ほどの期間だと思う。
そこで宿泊日数を計算してみると、以下のような結果になる。
3泊×20回=60泊
どうやら今年はおよそ2ヶ月間、無電化集落で寝泊まりしたようだ。
来週の日曜日からも4日間ほど、無電化集落に泊まり込む予定である。
家庭菜園の指導
個人的な農業活動として、無電化集落で家庭菜園の指導を行った。
最初に配った野菜の種は、ほとんどの村人が枯らしてしまい、無駄に終わった。
しかし、諦めずに何度も育苗の仕方と野菜への追肥の重要性を説き、すべての村人が収穫までこぎつけた。
参照:青年海外協力隊・野菜栽培隊員としてポット育苗など苗作りを教えます。
野菜栽培を行っている一つの村人グループは、「野菜の販売」も始めることができた。
参照:メタファシリテーション9ヶ月間!フィールド調査団の野菜ビジネス計画が村人主導で始動した。
農業以外の活動
ぼくは「野菜栽培」という職種で青年海外協力隊に派遣されたが、もともと「村落開発普及員」になりたかったので、農業以外の活動も行った。
無電化集落で歯ブラシの普及活動、皮膚病と寄生虫感染の啓発活動、日本文化紹介ならぬ信州文化紹介を行った。
参照:青年海外協力隊から帰国後に突然医者を目指す人の気持ちが理解できた。
栄養改善プロジェクトの崩壊
ボランティア活動はすこぶる順調だったが、10月中旬に突然、栄養改善プロジェクトが崩壊した。
「予算不足」を理由に、ぼくの青年海外協力隊としての要請内容はほぼ消滅した。
不幸は重なり、カウンターパートは事故で指を切断し、ぼくは体調を崩し40℃の高熱を出し寝込んだ。
しかし、おかげで自分のボランティア活動について振り返り、分析する機会になった。
参照:青年海外協力隊の要請プロジェクトが崩壊したおかげで、忘れかけていたボランティア活動のモットーを思い出せた。
活動の振り返りのまとめ
今年はボランティアとしての活動が軌道に乗り、様々な活動を行った。
しかし、10月中旬に栄養改善プロジェクトが崩壊したことにより、その後はボランティア活動も停滞した。
おかげで活動について振り返ることができ、継続性に欠いていたこと気がついた。
2015年の活動計画
ぼくの青年海外協力隊としての派遣期間は、2015年6月27日までである。
残りの活動期間は、およそ7ヶ月。
しかし、12月から降雨が少なくなり、1月からは本格的な乾季が始まる。
乾季は3月まで続き、その間は灌水装置がある一部の農民以外は、基本的に農業活動は停止する。
そのため、農業技師として農業支援活動が出来るのは、来年の4月から6月の間だけである。
残された期間のボランティア活動を充実させるために、2015年の活動計画を考えている。
学校菜園の巡回指導はやめる
栄養改善プロジェクトの一環として行っていた学校菜園の指導は、継続しないことにした。
その気になれば、プロジェクトの農業技師の代りに農業技術の指導を継続できるが、あえてしない。
それは、プロジェクトの崩壊後の状況を見たことで、ぼくが日本に帰国すれば同時に学校菜園も終了することが判明したからだ。
継続性がないと明らかになっている事には、取り組まないことにした。
家庭菜園の指導を続ける
家庭菜園の指導は継続するつもりだ。
家庭菜園をしている村人は、野菜栽培に意欲を持っているし、ぼくが日本に帰国後も継続する可能性がある。
野菜栽培に意欲を持っている人を協力したい。
しかし、新たに家庭菜園作りを始めるのはやめようと思う。
今年の10月から、3か所の無電化集落で家庭菜園作りを支援する予定でいた。
しかし、プロジェクトの巡回指導がなくなったことで、交通手段を失い結局ほとんど活動できていない。
そして、今後もプロジェクトの巡回指導が再開する様子はない。
交通手段がないので、新しい集落での活動は行えなくなった。
カウンターパートとの共同活動を重視する
2015年は、カウンターパートとの共同活動を重視したい。
これは、彼に農業技術と村人への教え方を伝えるためだ。
彼は非常に優秀な農業技師であり、銀行の学校菜園コンテストでは担当する2校が入賞した。
参照:銀行出資の学校菜園コンテストで、カウンターパート担当の2校が入賞した!
彼にぼくの技術を伝えることで、ぼくが日本に帰ってからもパナマの村人に農業技術を伝えて欲しい。
不確定要素
しかし、活動計画を立てる上で問題もある。
発展途上国パナマは日本以上に、不確定要素が多いのだ。
1.農牧省の勤務システムの変更
まず不安なのは、農牧省の勤務システムが変更になる可能性があることだ。
実は、パナマの農牧省は今年の1月から勤務システムが全面的に変更になった。
今までは複数の地域にまたがる一つのプロジェクトを1名の職員が担当していたが、変更後は1名の職員が複数のプロジェクトを担当し一つの地域を担当することになっていた。
しかし、ぼくが働く農牧省カニャサス郡支所では、そのシステム変更に対応できなかった。
システム変更のための書類を作成しなければいけないのだが、カニャサス郡支所は一年以上経った今でも、未だにその書類が完成していないからだ。
他の支所は一年前にはすでに書類が完成し、システムが変更しているのに……。
ぼくもその書類作成を手伝っているが、まだ完成しそうにない。
ちなみにぼくは同僚たちに、マイクロソフトWordの使い方を教えており、とても喜ばれている。
パソコンに詳しい人は、発展途上国では歓迎されると思う。
もし今後勤務システムが変更した場合は、カウンターパートと一緒に働くことは難しくなる。
全く別の農業を何も知らない職員と働くかもしれないし、一人で活動することになるかもしれない。
2.不安定な気候
前述したとおりパナマは熱帯気候に属し、はっきりとした乾季と雨季に分かれている。
1月から3月までが乾季で、4月から12月が雨季と言われている。
しかし、今年はエルニーニョ現象により乾季が長引き、本格的な降雨が始まったのは7月になってからである。
ぼくが帰国するのは、6月30日の予定である。
来年も平年通り4月から雨季が始まれば農業指導ができるが、もし乾季が長引くようではもう農業指導ができないことになる。
ぼくが農業指導出来るかどうかは、エルニーニョ現象にかかっている。
まとめ
今年はボランティア活動が順調に出来ていたが、要請内容のプロジェクトが崩壊したことにより、大ブレーキがかかった。
来年の活動計画を立てているが、「配属先の勤務システムの変更」と「エルニーニョ現象」という不確定要素があり、先行きは不透明である。
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