私は青年海外協力隊として中米に2年間派遣されていた。
そのため、
・中米で2年間も何をしていたの?
・協力隊は毎日何をしているの?
・JICAはどんなサポートをするの?
こんな質問をよく受ける。
なので、協力隊として派遣されてから帰国するまでの流れを説明しよう。
青年海外協力隊の派遣期間中の流れ
ここからは、青年海外協力隊の派遣期間中の流れを紹介する。
空港に到着、ボランティア調整員と合流
まずは、任国の空港に到着したら、ボランティア調整員と合流しよう。
調整員が入国管理官とのやり取りをしてくれるはずだ。
だって、公用旅券でやってくる日本人なんて怪しいからね。
JICA事務所でガイダンス
翌日から、任国のJICA事務所でガイダンスを受けるはず。
時差ボケで寝ないように注意。
一ヶ月間の語学研修
パナマの場合には、地方都市で一ヶ月間の語学研修を受けた。
語学研修といっても先生役は素人の主婦だったので、最悪な内容だったが。
任地見学
語学研修の最中に一日かけて任地見学に行った。
ど田舎過ぎて衝撃を受けた記憶がある。
このときに先輩隊員にも会い、挨拶をした。
任地へ引っ越し
そして、任地の村に引っ越した。
ぼくのホームステイ先は二つの家族が一緒に住んでいる家で、大所帯だった。
参考:青年海外協力隊のホームステイの家を決める時に、ぼくは豪邸よりバルサを選んだ。
ホームステイ開始(国によっては一人暮らし)
パナマはホームステイだったが、国によってはひとり暮らしの場合もある。
ホームステイの方がストレスが多いが、その分任国の文化を学ぶ機会は多い。
ただし、ほぼ毎日停電と断水が発生していた。
ボランティア活動開始
任地に着いたら配属先に挨拶に行って、すぐに働き始めた。
ただし、着任後半年間くらいはスペイン語がまったく理解できず、仕事はおろか日常生活さえできなかった。
参考:【青年海外協力隊の失敗エピソード】「日本に帰れ!」の一言がなかったら今頃ぼくは日本に帰っていただろう。
適宜、ボランティア調整員と連絡(しない国もある)
普通はボランティアとボランティア調整員は連絡を取り合うと思う。
しかし、ぼくの担当者からは「何も連絡しなくていいです。2年間問題を起こさないでください」とだけいわれた。
しかし、ケニアにいったときにはボランティアも管理されて、成果を求められる雰囲気があったので、所長次第だろう。
三ヶ月ごとに隊員が帰国し、新隊員が来る
青年海外協力隊は三ヶ月ごとに新しい隊員が着任し、任期が終わった隊員が帰国する。
安全講習会
安全講習会という会議が年に一回開催され、最近の治安情報が共有された。
健康診断
青年海外協力隊は一年目の最後に健康診断を受ける。
首都の大きな病院で検査を受けた。
三ヶ月から半年ごとに報告書をJICAに提出
青年海外協力隊で赴任してからは、三ヶ月から半年ごとに報告書をJICAに提出する。
「報告書があるからサボれないのでは?」と思うかもしれないが、活動をサボっている人も報告書は提出するから関係ない。
ボランティア向けのウェブサイトで先輩隊員の報告書が読めるので、ぼくはそれを読んで活動の参考にしていた。
赴任から12ヶ月後に中間報告会
赴任から12ヶ月後に中間報告会を行い、活動報告を行った。
報告会のやり方も任国ごとにバラバラで、パナマはスペイン語で配属先を集めて実施していた。
しかし、ケニアでは日本語で配属先なしで行っていた。
参考:JICA主催の「協力隊活動報告会」に参加し、15分間の中間報告プレゼンをスペイン語で行いました。
赴任から24ヶ月後に最終報告会(国によってはもっと早い)
赴任から24ヶ月後に最終報告会を開催し、ボランティア活動の最終報告を行った。
パナマの場合には配属先を呼んで、スペイン語で発表する。
任国によっては、もっと早いタイミングで最終報告会を行う国もあるそうだ。
参考:2年前にクビ宣告を受けた青年海外協力隊が配属先のトップに最終報告をしたら「君を○○したい」と言われた話
日本へ帰国
そして、一般隊員は24ヶ月経過したときに日本へ帰国する。
ぼくのパナマの同期も二人は現職参加だったので3ヶ月早く帰国したが、残りのメンバーと一緒に帰国した。
参考:2年間の青年海外協力隊の活動が終わり、日本へ帰国しました。本当にありがとうございました。
青年海外協力隊の派遣中の流れまとめ
青年海外協力隊の派遣中の流れをまとめてみた。
協力隊はJICAやJOCAのサポートを受けながら、二年間活動する。