突然の所長からの依頼
いつものように配属先である農牧省のカニャーサス村事務所に出勤すると、所長から仕事を頼まれた。
「今日、パナマ政府の子育て補助金を受けている女性がうちの事務所に来るんだが、農業技術について講演をしてくれないか?」
出かける用もなかったので、所長からの依頼を快く引き受けた。
子育て補助金を受けている女性
パナマ政府は現金収入がなく貧しい子育て中の女性に対して、子供一人につき月に50ドル(6,000円)の現金を支給している。
ぼくが住んでいるカニャーサス村には貧困地域が多いので、この補助金を受けている女性が非常に多い。
現金は子供のために使わなくてはいけないのだが、実際には自由に使えるので父親のビール代に消えることもあり、日本の生活保護のようなものだ。
所長の挨拶と同僚の講演
1.所長の挨拶
事務所には、52名の女性が集まった。
天井が崩壊しているヤシの葉の小屋に集合し、まずは補助金を支給している組織の職員と、農牧省の所長が挨拶をした。
今年からは補助金を受けるための条件として、農業活動も始めなければいけないそうだ。
そのため、女性たち向けの農業技術の講習会が開催された。
2.同僚の講演
次に、農牧省の同僚が有機肥料と鉢植え栽培についての講演をした。
スライドを見せながら説明した後は、エルサルバドルで作られたビデオを2本流した。
ちなみに事務所に使えるプロジェクターはないので、近所の小学校まで行って借りてきた。
JICA専門家と農牧省が協力して作った「有機肥料マニュアル」は材料が多いし費用が高く、作り方も複雑すぎて誰も実践していない。
日本文化と農業技術のプレゼン
次に、ぼくが日本文化と農業技術についてのプレゼンを行った。
1.自己紹介と日本文化紹介
今回集まった女性は初めて会う人ばかりだったので、自己紹介から始めた。
パナマ人にはどれだけ日本人だと説明しても中国人だと思われるので、今回はプチ日本文化紹介もした。
(1)自己紹介
名前、出身、所属、仕事内容、ボランティアという立場を丁寧に説明した。
熊本城の写真を見せて、「これ、ぼくの家」というギャグはすべったので、今後は封印することにした。
(2)世界地図でパナマと日本の位置の説明
世界地図を映して、パナマと日本の位置を説明した。
ほとんどの女性が母国パナマの位置すら把握しておらず驚いた。
この村の貧困地域に暮らす成人の就学経験率は低かったのだ。
そのため、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジアという言葉にも、「はぁ?何それ?」という感じで聞いていた。
次に日本とパナマの違いとして、気候の違いを紹介した。
雪の写真を見せても反応しなかったので、「一面、カキ氷みたいな感じ」と説明すると理解してくれた。
(3)第二次世界大戦と経済成長の話
パナマ人にウケがいいのが、日本も昔は貧しかったんだよエピソードだ。
そこで、ぼくの祖父は小学校にしか通えなかったこと、第二次世界大戦で食べ物がなくなったことを話した。
「ぼくの地元の長野県では、タンパク源がないので虫も食べる」というと悲鳴をあげていた。
第二次世界大戦の後は、経済成長をとげて大都会になったとスカイツリーから撮影した東京都心部の写真を見せた。
(4)東日本大震災と津波被害の話
次に、2011年3月11日に大地震が起きて、津波の被害があったことも説明した。
この説明のために、ぼくが2011年4月11日に震災ボランティアとして宮城県石巻市に行ったときに撮影した動画を上映した。
がれきだらけの映像に、女性たちも驚いていた。
(5)パナマと日本のダンスの違いを阿波踊りで説明
暗い雰囲気になったので、最後にパナマと日本のダンスの違いを示すために、阿波踊りの動画を上映した。
この動画は学生時代に四国一周旅行をしたときに、徳島県の阿波踊り会館で撮影したものだ。
パナマ人はダンスが大好きなので、超ウケていた。
2.トマトの脇芽を使った増やし方
いい感じに場が温まったので、いよいよ農業の話を始めた。
まずは、昨年パナマの農村地域で普及した「トマトの脇芽を使った増やし方」を教えた。
写真を見せながら、脇芽で増やす手順とメリットを伝えた。
参考:えっ、1本のトマトが5本に増える!?家庭菜園でトマトの脇芽から挿し木苗(挿し芽苗)を無限に増やす方法とコツ
3.袋栽培の方法
次に、同じく昨年パナマの山間部で普及した「野菜の袋栽培」を紹介した。
まずは写真を見せながらメリットと方法を説明して、最後に展示圃場で栽培中の袋栽培を実際に見せた。
参考:メリット&失敗しないコツ!家庭菜園の袋栽培で誰でも簡単に新鮮で美味しい野菜を収穫する方法
4.籾殻燻炭の効果と作り方
次に、昨年農牧省で実験していた「籾殻燻炭の作り方」を紹介した。
パナマの主食は米なので、山間部に暮らす家では籾殻は無料で手に入る。
女性たちも少し興味を持ったようだった。
参考:道具なしで超簡単!家庭菜園向けの籾殻燻炭(もみ殻くん炭)の作り方と使い方と効果
5.空心菜の栄養価と育て方、調理方法
最後に最近普及に力をいれている「空心菜の栄養価、育て方、調理方法」の紹介をした。
首都の講習会でも使った、「空心菜って知ってる?たぶん誰も知らないと思う、だってぼくが勝手に名付けたからね」というギャグはまたもやウケた、もはや鉄板だ。
講演中はできるだけ笑いを取ることを心掛けている。
参考:空心菜の栄養価&家庭菜園向けの簡単な栽培方法・挿し木増殖&美味しい炒め物レシピ
6.展示圃場で袋栽培と空心菜の説明
プレゼンが終わってから、興味を持った人だけ集めて、展示圃場で袋栽培と空心菜の栽培状況を説明した。
写真を見せるよりも、実物を見せた方が100倍わかりやすいし、注意をひける。
7.空心菜の種の配布
首都で行った講演と同じように、最後に希望者に空心菜の種を配布した。
20名ほどの女性が空心菜の種を持って帰った。
参考:パナマの首都で「家庭菜園でできる空心菜の袋栽培」を実演した
なぜ、女性から1ドルを握らされたのか?
予定されていたすべてのプログラムが終わり、会議は解散になった。
女性たちが帰っていくのを見送っていると、一人の女性が小走りで近づいて来てぼくの手を掴み、そして立ち去った。
一瞬の出来事で何が起こったのかわからなかったが、握らされた自分の手を開いてみると、なんとそこには1ドルコインが1枚あった。
パナマではパナマの硬貨である1バルボアコインを、1ドルコインとして使っている。
状況を考えてみると、参加者の女性がぼくに1ドルくれたのだ。
貧困地域にボランティアとして来ておいて、貧困地域の女性からお金を恵んでもらう訳にはいかない!
すぐに女性を追いかけて、1ドルコインを返そうとしたが、女性は断固として受け取ってくれない。
「返さなくていいから! これで、ソーダでも飲みなさい!!」
「ありがとうございます。でも、そういう訳にはいきませんから」と返そうとしても、どうしても受け取ってくれないので、ありがたく受け取ることにした。
しかしJICAの規則では、労働の対価として金銭を受け取ってはいけないことになっている。
農牧省の所長に相談すると、「その1ドルは労働の対価ではなく、感謝のしるしだから受け取っておけ」と言われた。
1ドルを見ていると、なんだか泣けてきた
1ドルをもらってから、いろんなことを考えた。
パナマに来てから21カ月経ち、今までに知らない人から「金をよこせ!」と言われたことは10回以上あった。
外国人だからと、ぼったくられたことも数え切れないほどあった。
しかし、お金を渡されたことは今回が初めてだった。
しかも、相手は生活保護を受けるほどの貧困者の女性だ。
彼女は何を思って、ぼくに1ドルを渡したのだろうか?
現金収入がない彼女にとっては、1ドル(120円)は重要な金額だ。
その大切なお金を、初めて会った中国人みたいな、訳も分からないボランティアと名乗る男になぜ渡したのか?
頭の中をいろんな仮説がぐるぐる回っている。
彼女は敬虔なキリスト教徒なのだろうか。
一人でカニャーサス村に住んで、山奥の村で働いているぼくを可哀想と思ったのか。
ぼくの講演を気に入ってくれたのか。
そして、もう一つの悩みは、彼女にぼくは何ができるのか?
わざわざ1ドルまでくれた彼女に、ぼくはどんな恩返しができるのだろうか。
もっと良いプレゼンをすることはできなかったのか?
1ドルコインを見ていると、疑問と後悔とプレッシャーを感じてきて、なんだか泣けてきた。
今の気持ちを忘れないために、このコインは一生使わずに取っておくことにした。
まとめ
子育て補助金を受けている女性に日本文化と農業の講演をした。
写真や動画を使って日本文化を紹介し、展示圃場の野菜も紹介した。
一人の女性から1ドルコインを握らされ、驚き悩んでいる。
この1ドルは一生の宝物にしたい。
関連記事
国際協力の意義を問う。「自立支援」とは自立したい人のためではなく、支援したい人のための言葉では?
青年海外協力隊にできることは0を1にすることではなく、1を10にすること。