不運続き
どういう訳か、最近は不運続きだった。
たまには悪いことも起こるとわかっているが、それが連続して発生した。
相棒が指を切断し、プロジェクトが崩壊し、ぼくは40度の熱で寝込んだのだ。
相棒が指を切断
青年海外協力隊の相棒制度
青年海外協力隊では、カウンターパートと呼ばれる現地人との相棒制度を取っている。
ぼくのカウンターパートは、ベルナルドという男性職員でとても優秀な農業技師である。
彼の人柄について知りたい人は、以下の過去エントリーを読んでもらいたい。
参照:青年海外協力隊の新人隊員は、先輩隊員に恋をする。|JIBURi.com
トラクター搬送中の事故
先々週に実施していた21回目の滞在調査から帰宅し、翌日に農牧省に出勤すると、同僚からショッキングな話を聞かされた。
「おととい、ベルナルドが指を切断した!」
詳しく事情を聞くと、どうやらこういう事故だったらしい。
車の荷台に載せていた「小型の手押し式のトラクター」を地面に下ろそうと、ぼくの相棒を含む3名の職員がトラクターを持ち上げた。
そのまま車の荷台から下ろそうとしたが重すぎて、トラクターが落下し、トラクターと車の間に相棒は手の指を一本挟まれた。
そして、トラクターの重みで指は完全に切断され、地面に転がった。
救急車で近くの町の病院に搬送され、入院している。
ぼくは山奥の集落に滞在していたので、事故があったことを知らず、同僚から話を聞きショックを受けた。
事故の話を聞き、すぐに相棒に電話をかけたが連絡がつかなかった。
事故のその後
数日後、相棒の奥さんと息子さんとばったりと町で出くわした。
相棒の容態を聞くと、指は切断したが健康に問題はないらしい。
そして、その後相棒から事務所に電話があった。
「治療のための休暇だと給料が出ないから、普通の一ヶ月休暇に切り替えたい」という旨の連絡だった。
こんな時でも損をしないように制度を切り替えるとは、さすがしっかりしている。
パナマでは年に一ヶ月間の有給休暇が必ず取れるので、指の治療のためにちょうど良かった。
指の怪我をしっかりと直してから、仕事に復帰してもらいたい。
プロジェクトが崩壊
相棒の指切断のショックから立ち直りかけた頃に、次の不運がやってきた。
栄養改善プロジェクト
ぼくはパナマの農牧省に所属しているが、保健省の「栄養改善プロジェクト」のために活動している。
このプロジェクトはJICAの資金提供も受けており、このプロジェクトのために青年海外協力隊員が現在は5名が活動しており、過去の隊員も含めると10名程度が派遣されてきた。
プロジェクトの詳細は、以下のプロジェクトサイトにすべてまとめられているので、ぜひ見てもらいたい。
ベラグアス県コミュニティ栄養改善プロジェクト | 国別取り組み | 事業・プロジェクト – JICA
肝心なことは、このプロジェクトは2015年10月まで実施される予定であったことだ。
突然のプロジェクト崩壊の知らせ
相棒の奥さんと息子さんと話した数時間後、町のバスターミナルでプロジェクトの職員と出くわした。
すると挨拶もほどほどに、何やら怒った様子でまくしたててくる!
話を整理すると、どうやらこんなことが起こっているらしい。
昨日(先々週の金曜日)、突然プロジェクトが終了することになった。
だから、プロジェクト職員がクビになった。
突然プロジェクトを終了させたことで、JICAが怒っていた。
そして、クビになった職員も怒っている。
どうやらプロジェクトが崩壊したらしい。
パナマでは今年の7月に政権交代があったので、プロジェクトへの影響も心配していたが、現実のものとなった。
しかし、このプロジェクトの崩壊が政権交代の影響なのかはわからない。
そして、プロジェクト職員はプロジェクトは終了したと言っていたが、プロジェクト事務所に所属している青年海外協力隊の話では「規模縮小」という感じらしい。
プロジェクトの最高責任者は休暇を取っているので、今でもプロジェクトの今後の方向性がつかめないままだ。
ただ、プロジェクトがすでに崩壊しているのは間違いない。
40度の熱
「相棒は指を切断するし、プロジェクトは崩壊するし、不運続きだな」と笑っていた。
別に相棒の事故は命に別状はなかったし、奥さんと息子も平気そうにしていた。
プロジェクトの問題も、ぼくはプロジェクト終了後の様子を見たい、プロジェクト終了後でも村人が活動を継続できるようにフォローしたいとずっと思っていたので、ぼくの任期中にプロジェクトが崩壊したのは逆に好都合である。
このように二つの不運を、前向きに捉えていた。
しかし、このあとさらなる不幸がぼく自身の身に降りかかって来た。
高熱に苦しむ
先週、バスで6時間以上離れた同期の野菜栽培隊員の任地で、湖畔の稲作の調査を行った。
参考:焼畑農業禁止!協力隊の同期とパナマ運河の水源アラフエラ湖畔の稲作を調査した。|JIBURi.com
そして、その調査を行った後、自宅に帰らずに山奥の集落に滞在調査に行くつもりでいた。
しかし、一日一便の乗合ジープがその日は欠航し、結局調査に行けなくなってしまった。
今思い返してみると、これは神が差し伸べてくれた優しさだった。
仕方なく家に帰ると、出張の疲れからか体が動かなくなった。
そして、次の日になると、体のだるさ、のどの痛み、鼻水といった風邪の諸症状を発症していた。
それでも、日本から持参した風邪薬を飲んで、配属先に出勤し農作業を行っていた。
しかし、風邪薬でも効かないほど具合が悪くなり、職場を早退した。
家に帰りベッドで休んでいたが、高熱で苦しくなってきた。
JICA駒ヶ根訓練所で支給された体温計を使って体温を測ってみると、38度もあった。
二時間後にもう一度測定すると、40度に達していた。
これはヤバいと思い、ホストファミリーに同行してもらい、村の病院へ行った。
初めての病院
パナマに派遣されてから1年4か月ほど経ったが、病院にかかるのは初めてだった。
まずは看護師から薬を飲まされ、医師から診断され、二種類の薬を買った。
薬は解熱剤と抗生物質で、病院は公営なので薬は二種類でたった100円と激安だった。
薬を飲むタイミングは日本なら「一日三回の食後」が基本だが、パナマでは「6時間おき」もしくは「12時間おき」だった。
パナマでは薬は、食事のタイミングとは関係なく飲むものらしい。
その後の容態
解熱剤のおかげで少しは気分がましになったが、ベッドから起き上がることも辛かった。
そこで配属先に連絡し、休ませてもらった。
パナマに来てから、初めて体調不良で仕事を休んだ。
そして、そのまま五日間も寝込んだ。
二日目と三日目はとにかく辛かった。
熱があって、鼻水が出て、のどが痛かった。
四日目になると、体中の関節や筋肉が痛くなった。
五日目には、少し歩けるようになったが、すぐに疲れてベッドに倒れ込んだ。
六日目の朝に、ようやく体調が回復した。
パナマ生活で得た前向きさ
最近、不運が続いている。
相棒は指を切断し、プロジェクトは崩壊し、ぼくは40度の熱を出した。
相棒が怪我で休暇を取り、プロジェクト職員もクビになったことで、ぼくの活動にもマイナスの影響が出ることは間違いない。
しかも、体調を崩し一週間を棒に振ってしまったので、活動計画を変更しなければならなくなった。
今後の活動が心配ではあるが、「それでも、なんとかなるさ」と思っている。
青年海外協力隊に参加する前のぼくでは考えられないほど、前向きに物事を考えられるようになった。
これはパナマで生活したおかげだろう。
前向きさを武器に、さらなる不運と戦っていきたい。