ゲストハウスに泊まっただけで、こんなに人生が変わった人って他にもいるの?
学生時代に「ゲストハウス」と呼ばれる簡易宿泊宿と出逢っていなければ、ぼくは今頃サラリーマンか公務員になっていただろう。
しかし、実際には青年海外協力隊に参加し、フリーランスの海外農業コンサルタントになった。
これまでの人生を振り返ってみると、人生の岐路に差し掛かるとゲストハウスで何かが起こり、進むべき道が見えてきた。
ぼくの人生は、ゲストハウスとの出逢いによって変わったのだ。
そこで今回は、ぼくの人生を変えた6軒のゲストハウスをご紹介しよう。
人生を変えた6軒のゲストハウス
ぼくの人生を変えたゲストハウスは、日本と海外を合わせて6軒ある。
1.熊本県の染物と宿の中島屋
ぼくが人生で最初にゲストハウスを知ったのは、大学4年生の時に九州一周のヒッチハイクの旅をしたときだ。
それまでは宿泊施設といえば、ビジネスホテルや民宿しか利用したことがなかったが、ゲストハウスやバックパッカーズと呼ばれる簡易宿泊宿があることを初めて知った。
そして、熊本県で泊まったのが「染物と宿の中島屋」だ。
参考:染物と宿の中島屋
ご主人とスタッフさんとの思い出
中島屋での思い出といえば、なんといってもご主人とスタッフさんとの出逢いだ。
ご主人は車屋さんの営業マンだったのに、ハワイでカキ氷屋を始めるために脱サラしてハワイに渡った。
テレビ番組を見て海外には一軒もカキ氷屋がないと聞き、ハワイでカキ氷屋をすれば儲かると思って行ったが実はハワイにはすでにカキ氷屋チェーンがあり、諦めて帰ってきたらしい(笑)
そして実家の染め物屋と自分の趣味の旅行を組み合わせて、染物と宿の中島屋を開業したそうだ。
ぼくが泊まった時に働いていたスタッフさんは、「女性なのにスキンヘッド」というぶっ飛んだ人だった。
オーストラリアでワーホリをしていたそうで、ワーホリの体験談を聞かせてもらい「20代のうちに絶対に海外へ行きなさい!」と強く勧められた。
オーナーさんとスタッフさんの海外エピソードを聞いて、当時のぼくは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
それまでぼくは海外経験は韓国しかなく、海外へ旅行へ行きたいとは全く思っておらず、ましてや海外で働くことなど考えたこともなかった。
しかし、目の前にいる2名の日本人はハワイやオーストラリアで働いており、「すごい日本人もいたものだなー」と感心した。
この時は自分も海外へ行きたいとはまったく思わなかったが、お二人から聞かせてもらった海外生活の面白エピソードが頭にこびりついて離れなくなった。
2.福岡県のTabicolleバックパッカーズ
染物と宿の中島屋に泊まってから一週間後くらいに、福岡県のTabicolleバックパッカーズに宿泊した。
Tabicolleバックパッカーズにチェックインする直前に、長崎県川棚町の超能力喫茶店アンデルセンで超能力ショーを見ており、しかもその間に東日本大震災が発生していたので、ぼくの頭はパニックに陥っていた。
参考:長崎県川棚市の超能力喫茶店で起きたマジック!もしかしたら僕の運命は超能力者に曲げられたのかもしれない。
青年海外協力隊を目指す住み込みスタッフさんとの思い出
当時のTabicolleバックパッカーズには、住み込みで働くスタッフさんがおり、彼女は「青年海外協力隊になることが夢だ」と言った。
ぼくは海外にもボランティアにも興味がなかったので、青年海外協力隊という言葉を聞いたことがなく、どんな制度なのか教えてもらった。
この瞬間が人生で初めて青年海外協力隊のことを考えたときで、ぼくの青年海外協力隊人生が始まった。
この出逢いがなければ、この後東日本大震災のボランティアに参加することもなかっただろう。
3.東京都のゲストハウスtoco.
その後、ぼくは東日本大震災の震災ボランティアに参加し、宮城県石巻市と福島県相馬市で活動したあと、「ボランティアの意義」について悩んでいた。
そして、九州一周旅行で経験したゲストハウスでの外国人との交流やオーナーやスタッフさんとの出逢いの影響を受けて、人生で初めて「外国へ行ってみたい!」という気持ちになっていた。
ボランティアについて考えたいという気持ちも外国へ行きたいという気持ちが交錯した結果、ぼくは「インドのマザーハウスへ行こう!」と決めた。
インドのマザーハウスに行くために、団体行動でガイドも付く安全な大学生向けのスタディツアーに参加しようと思い、さっそく申し込んだ。
スタッフさんに怒られた思い出
東京都のゲストハウスtoco.に宿泊した時に、スタッフさんに「大学生向けのスタディツアーでインドへ行く」と告げると、なんとめっちゃ怒られた。
「最近の大学生は群れ過ぎじゃ! 俺は一人でオーストラリアで交換留学をしたし、友人とふたりだけでアメリカ大陸も横断した。海外へはひとりで行くべきなんだ。特にインドはスタディツアーではなく、絶対にひとりで行くべき場所じゃ!!」
と怒られたので、ぼくはすぐに心を改めスタディツアーをキャンセルし、ひとりでインドへ向かった。
4.インドのコルカタの貧乏宿
インドのデリーに着き数十人のインド人に騙されながらも、なんとかコルカタにあるマザーハウスまでたどり着いた。
マザーハウスでボランティア登録を済ませ、コルカタのとても汚い安宿にチェックインし、翌日からマザーハウスでボランティアをするぞという夜、ぼくは壮絶な下痢に襲われた。
死にそうな下痢地獄
一晩で100回以上ゲリが出て、高熱にうなされた。
ボランティアに行くどころかベッドから起き上がることもしんどく、ひたすらベッドとトイレを往復した。
3日間ほど下痢が続き、脱水症状からか意識も朦朧とし、人生で初めて「自分が死ぬかもしれない」と恐怖を感じた。
インドには「メメント・モリ(死を想え)」という言葉あるが、インドで本当に死を意識した。
まだ下痢は続いていたが、寝込んでから4日目にはなんとか歩けるまでに回復し、インド旅行を続けることができた。
5.長野県の1166バックパッカーズ
インドから無事に帰って来て、ぼくはさらに海外へ行きたくなっていた。
しかも、下痢で寝込んでいたせいでマザーハウスではボランティアができなかったので、ボランティアを経験してボランティアの意義を考えたいという想いも強くなっていた。
そこで、福岡県のTabicolleバックパッカーズのスタッフさんから教えてもらった「青年海外協力隊」という進路が現れた。
この時のぼくは大学院修士課程一年生で、同期の院生はみんな就職活動を行っていて、ぼく自身も卒業後の進路を決める時期に差し掛かっていた。
青年海外協力隊に興味があるが今までのぼくの経歴とは違いすぎていたので、「自分の軸が折れるようなイメージ」がして決断できないでいた。
そんなとき、たまたま長野市の1166バックパッカーズという宿で東京のゲストハウスtoco.のオーナーが開業秘話について座談会を開くと知り、参加することにした。
ゲストハウスtoco.のオーナーとの出逢い
イベント終了後の夜、長野市の1166バックパッカーズでゲストハウスtoco.のオーナーさんに、率直にぼくの悩みをぶつけてみた。
「青年海外協力隊に興味があるが、ぼくは今まで海外にもボランティアにも興味がなかったので、まるで自分の軸が折れるような感覚がして選ぶべきではないのではないかと思う」と伝えると、こんな意見をくれた。
「若いうちは、むしろ自分の軸を折った方がいいと思う。本当の男の勝負は40代から。20代はただ思いつくままにいろんなことに挑戦して、力を付ける時期。自分の価値観に固執するのではなく、自分の軸を折っていき、その度にその軸を太くしていくイメージでいいのでは」
この夜、ぼくは青年海外協力隊に参加することを決めた。
6.中米パナマのホステル
青年海外協力隊に参加し、ぼくは中米パナマ共和国に派遣された。
2年間の活動が終わりそろそろ日本へ帰国するという頃、ぼくは日本へ帰国後の進路を悩んでいた。
ちょうどその頃、パナマに住んでいるイギリス人から仕事の依頼を受けた。
彼はレストラン兼ホステル兼農園を経営する予定で、ぼくは農園の技術指導を行った。
お金をためてから起業したイギリス人
彼は若い頃はサラリーマンとしてバリバリ働きお金を溜めてから、50歳くらいになってから早期退職し自分でビジネスを始めた。
彼が建設中のホステルに泊まらせてもらい、彼が料理した食事を頂き、いろんな話をした。
彼との交流のなかで、「彼のようにお金と経験を積んで高齢になってから起業するのではなく、ぼくは若い頃から自分でビジネスがしたい!」と感じた。
この時から、「日本へ帰国したら一般企業に就職して、お金や経験を積んでから起業しよう」とは一切思わなくなった。
1166バックパッカーズの住み込みスタッフ
そして、その後ぼくはパナマから日本へ帰国し、長野市の1166バックパッカーズで住み込みスタッフをしている。
ぼくの人生を変えたゲストハウスで、働けることを幸せに感じる。
働くのは短い間だが、今度はぼくが誰かの人生を変えてみたい(笑)
まとめ
ぼくの人生を変えた6軒のゲストハウスを紹介した。
今回紹介した日本にある4軒のゲストハウスはどこもおすすめなので、ぜひ利用してみほしい。
参考:外国人旅行者に人気のおすすめ格安ドミトリー付きホテル!長野県のゲストハウス・バックパッカーズ24宿