青年海外協力隊にできることは、0を1にすることではなく、1を10にすること。
青年海外協力隊として2年間活動して思うことがある。
ぼくたち青年海外協力隊にできることは、0を1にすることではなく、1を10にすることだ。
簡単にまとめみてみよう。
0を1にすること
0を1にすることとは、すなわち相手を変えることだ。
途上国の悪いところを探して、そこを変えることだ。
一歩間違えると相手の価値観を否定して、青年海外協力隊が望む価値観を押し付けて変えてしまう。
例えば、パナマ人を日本人のように変えて、パナマの農業を日本の農業のように変えることだ。
そこには大きな変化が発生して、よく考えれば大きな成果を得たように感じるはずだ。
青年海外協力隊が来なければ決して起きなかったであろう変化を考えてみてほしい。
例えば、大きな機械を購入して新しいプロジェクトを始める。
日本の大使館のお金でスポーツ用品を買って、新しいチームを作る。
フェアトレード商品を開発して、国内外へ販売する。
飲み水がない地域に井戸を掘る。
青年海外協力隊の会報誌であるクロスロードによく成功事例として取り上げられている内容だ。
これは、青年海外協力隊がその任地に赴任しなれば決して起こらなかったであろう、とても大きな変化である。
これは、国際開発の世界では「成果」として考えられている。
先進国の人間が途上国に行き、お金も資源も何もない0の状態の途上国に先進国の技術で1の状態にする。
0から1はとても大きな変化で、途上国の人間からも喜ばれる。
しかし、青年海外協力隊が帰国してから10年後にはどうなっているだろうか?
青年海外協力隊が買ってあげた野球のグローブはまだ使われているだろうか?
青年海外協力隊が作った井戸はまだ使われているだろうか?
青年海外協力隊が始めたフェアトレードはまだ続いているだろうか?
青年海外協力隊が買ってあげた機械は故障していないだろうか?
0を1にしたことは、0に戻っていないだろうか?
青年海外協力隊が派遣されたおかげで得た成果とは、逆にいうと途上国の人だけでは継続できない活動だ。
0を1にしても、0に戻るだけだ。
そしてまた別のボランティアがやってきて、0を1にして帰っていく。
国際開発の世界は、0と1を繰り返しているだけではないか?
参考:ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。
参考:参加型開発は国際協力の目的ではなく、ただの手段の一つに過ぎない。
参考:国際協力の意義を問う。「自立支援」とは自立したい人のためではなく、支援したい人のための言葉では?
1を10にすること
1を10にすることは、すでに途上国で起きている良い変化に目を付けて、その変化を促進することだ。
日本のガラパゴスな技術を教えるのではなく、途上国の人が考え出したアイデアをさらに発展させる。
青年海外協力隊が来なくてもその変化は起こっている。
青年海外協力隊がいなくても、1は2になり、3になる。
しかし、青年海外協力隊がいることで、1が10になることもある。
途上国の人のアイデアに青年海外協力隊が協力すれば、途上国の人だけで行うよりも早く10に達することができるかもしれない。
青年海外協力隊が帰国しても、10は0には戻らない。
なぜならば、0から1に変えたのは青年海外協力隊ではなく、途上国の人自身だからだ。
青年海外協力隊が途上国の悪いところに目を向けて0に1にしようとするのではなく、1に目を付けて10にすることができれば、世界はもっと面白くなると思う。
1を10にしたい現地人と一緒に活動できる青年海外協力隊は幸せ者だ。
ぼくはたまたまそんなパートナーと知り合い、2年間一緒に活動ができた。
しかし、0から1に変えられる人ばかりではないことも事実だ。
ぼくにはどうするべきなのか、まだわからない。
もし村人に生活をよくする気持ちがなかったら、青年海外協力隊は何をするべきなのか?
参考:『スイッチ!「変われない」を変える方法』を読んで青年海外協力隊として国際協力の場面で実践したこと、したいこと。
参考:途上国の人々との話し方を読んで、青年海外協力隊として8カ月間メタファシリテーションを試みた。
参考:参加型開発のために野菜を育てない青年海外協力隊・野菜栽培隊員になろう
まとめ
青年海外協力隊にできることは、0を1にすることではなく、1を10にすることだ。
0を1にすることは短期的に見れば大きな成果のようだが、長期的に見るとただの失敗だ。
0を探すのではなく、1を探してほしい。