国際協力の目的とは何か?
国際協力とは何か?
批判を恐れずに一言でいうなれば、国際協力とは発展途上に暮らす貧しい者を先進国の人間が救う行為だ。
ぼくは国際協力の意義などに悩んでおり、ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました。|JIBURi.comという記事を書いたことがある。
この記事に対しての「これを書いた奴は絶対的貧困をわかっていない!」という批判をネット上で見かけた。
国際協力の中には、絶対的貧困という言葉がある。
絶対的貧困とは何か?
絶対的貧困という言葉をとても簡単に説明すると、家がなく、ご飯を食べれず、医療を受けれず、他人から暴力を受け、とてもじゃないが人間とは呼べないほど貧しい状態のことだ。
基本的には難民キャンプに住んでいる人や、戦争中の地域に住む人、スラム街に住んでいる人などが当てはまるだろう。
彼らを救う行為をすることに対して、要するに絶対的貧困を対象とした国際協力をすることに対して批判する人はほとんどいないだろう。
ただし、「戦争中の国に国際協力として無料で医療を与えることで、その国が本来医療に使うべきお金を武器を買うために使ってしまうので良くない」という意見もあるが一般的ではない。
青年海外協力隊員が絶対的貧困の地域に派遣されることはまずないと思う。
このような地域には、技術や経験が不足しているボランティアではなく国連やJICAなどから専門チームが派遣されるだろう。
ただし国際協力に詳しくない一般的な日本人は、国際協力と聞くとこの絶対的貧困をイメージする。
先進国でも発生する相対的貧困とは?
絶対的貧困に対して相対的貧困という言葉もある。
相対的貧困とは、その国もしくは地域内で比較的貧しい状態にある人という意味だ。
なので日本にも相対的貧困の人はたくさんいるし、もし仮に六本木ヒルズの中で比較すれば六本木ヒルズに住んでいる人でも相対的貧困と呼ばれる。
もちろんこれは極端な例だが、発展途上国の中でもこの現象は起きる。
最近JICAパナマの成功事例の視察に参加して、相対的貧困という言葉が頭の中に浮かんだ。
JICAパナマの成功プロジェクト視察に12名のパラグアイ人と参加した。|JIBURi.com
JICAパナマの貧困地域コミュニティの視察
なぜならば、ぼくは視察先のJICAの支援を受けた集落が貧しいとは感じなかったからだ。
これから3枚の住居の写真を紹介する。
どの家に住む人が最も貧しく、最もお金を持っているのかを想像してもらいたい。
JICAから支援を受けていた家
まず最初に、視察先のJICAからの支援を受けていた集落の家である。
ぼくのホームステイ先の家
そして、これがぼくがホームステイしている家だ。
ぼくが活動している集落の家
最後に、ぼくが活動している集落の家。
貧しさとは何か?
みなさんはどう感じただろうか?
ぼくが住んでいる村の中では、ぼくのホームステイ先はお金持ちである。
そして視察で見たレベルの家に住んでいる人は、ぼくの村では国際協力の援助の対象にはなっていない。
この地域の中には、もっと貧しい人がいるからだ。
しかし、パナマの首都であるパナマシティーの近くにある集落は援助の対象になっていた。
首都の家と比べれば、貧しい方だからだ。
しかし、ぼくのホームステイ先よりもお金を持っていると思う。
ぼくはこの事実に気づき、「相対的貧困」という言葉が頭に浮かんだ。
国際協力と貧困の依存関係(先進国と途上国の依存)
国際協力の中には、絶対的貧困を救う行為と相対的貧困を救う行為の二種類がある。
ぼくが活動する集落の村人は人間らしい生活をしているので、相対的貧困の分野で活動していると言えるだろう。
国際協力は貧困をなくすことを目的としているが、相対的貧困の概念がある限りこの世から貧困はなくならない。
事実、ぼくの村だったら援助を受けない家が、首都の近くでは援助を受けている。
この世界に貧困がある限り国際協力はなくならないのではない!
この世界に国際協力がある限り貧困はなくならないのだ。