「活動がうまくいかないのは、本人の責任」
青年海外協力隊のボランティア活動
さかのぼること数か月前、パナマに派遣されてからしばらく経ったある日のこと。
休日に先輩隊員と一緒にお喋りを楽しんでいると、自然と話題は協力隊活動の話へ。
活動の愚痴を言い合っていると突然それまで黙っていた先輩があっさりと、でもきっぱりと言い切った。
「活動がうまくいかないのは、すべて本人の責任だ」
活動がうまくいかないのは、すべて青年海外協力隊の責任だ
この強烈な一言にぼくは耳を疑った。
青年海外協力隊の活動は隊員だけでするものではない。
カウンターパートと呼ばれる仕事上の相棒や、配属先の上司や同僚、活動先の村人と協力して活動しなければならないし、同じ地域で活動する協力隊員も関わってくる。
さらに任国の文化、風習、宗教、政治などが関与する問題は、隊員がいくら頑張っても解決できない。
発展途上国では活動を妨げる外的要因が山ほどあるのだ。
だから…
「活動がうまくいかないくても、しょうがない」
言い方は悪いかもしれないが、これが青年海外協力隊員の常識だと思っていた。
答えは「7つの習慣」にあった。
青年海外協力隊の活動が上手くいかない原因は?
だから当時のぼくは先輩隊員の「活動がうまくいかないのは、すべて本人の責任だ」という発言にショックを受けた。
というか理解できなかった。
しかし、今はその発言の真意を理解し賛同できる。
そのきっかけをくれたのは最近読んだ本、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」というビジネス書である。
7つの習慣|スティーブン・R・コヴィー著
この本の中で印象的な3つのメッセージが、まさに先輩隊員が伝えようとしたことを表していたのだ。
7つの習慣のメッセージ
主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するものではない。
人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。
7つの習慣
ボランティアとは、「自発的に」という意味
ボランティアには「自発的に」という意味がある。
青年海外協力隊員は自発的に参加しているので、活動でやるべきことをする(=成果を出す)という責任も引き受けている。
問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である。
7つの習慣
活動がうまくいかない原因を自分の外に向けることが問題である。
「カウンターパートが協力的ではないこと、活動先の村人がやる気がないことが問題だ!」と考えているその脳味噌こそが問題の原因なのだ。
刺激と反応の間には選択の自由がある。
7つの習慣
カウンターパートが協力的でない、活動先の村人がやる気がないという事実があったとしても、隊員にはその刺激に対してどのような反応を示すのかを選ぶ自由がある。
活動をサボることも出来るし、活動に興味を持ってもらえるように工夫することも出来る。
すべてはボランティアの行動次第
派遣されて十か月が経ち、青年海外協力隊についての考えもだいぶまとまってきた。
青年海外協力隊は良くも悪くも自分次第だ。
やる気があればガンガン要請内容に取り組めるし、職種とは関係ない活動も出来る。
今では青年海外協力隊・フィールド調査団という活動も世界的に広がっているから、途上国を相手にしたビジネス活動(BOP活動)にも取り組めるだろう。
逆にサボろうと思えばいくらでもサボれるし、活動がうまくいかない責任を自分の外に擦り付けようと思えば、いくらでも擦り付けられる。
「カウンターパートが協力的ではなかったので…」
「現地人は仕事をしない人ばかりだったので…」
という言い訳をすれば、誰にでも納得してもらえる。
青年海外協力隊は2年間の夏休み?
「青年海外協力隊は2年間無事に行って帰って来ることに意味がある」という人もいる。
活動の成果などは全く必要ないと言う。
青年海外協力隊を「2年間の夏休みだ」とも表現する。
しかし、ぼくはそうは思わない。
そんなことに貴重な2年間を浪費するくらいなら、日本に帰って働いた方がましだ。
ボランティアは自発的であるが故に、責任も持つべきである。
ボランティアだから何でも許される訳ではない、これは東日本大震災のボランティア活動でも感じた憤りだ。
JICA訓練所で派遣前訓練中の候補生へ
こんなことを書いていると、派遣されてから十か月が経ちついにぼくも先輩隊員面を始めたかと思われてしまうだろう。
こんなことを考えるようになったのは、大学時代の後輩が協力隊に参加することが決まったからだと思う。
知り合いが青年海外協力隊になることは、自分なりの青年海外協力隊理論を考えるいいキッカケになった。
「すべては自分次第」
今は、この言葉を訓練所への入所を控えている彼女に贈りたい。
7つの習慣をわかりやすく解説したマンガもあるので、ぜひ読んでみてほしい!