ファシリテーションとの出逢い
僕が「ファシリテーション」という言葉を初めて知ったのは、大学院1年生のとき。
それは、「全国から農業に関心を持つ大学生が集まる合宿」に参加した時のことだった。
場所は「ジンギスカンパーティー(通称:ジンパ)」で有名な北海道大学で、各大学の農業系サークルに所属する大学生が集まり、北海道内の農場見学や研修施設でワークショップを行った。
いろんなワークシートを使いながら、学生同士でグループを作り何度も議論を重ねた。このグループワークでは、常に「ファシリテーター(ファシリテーションする人)」が議事進行役になった。
ファシリテーターのおかげで農業に関する議論が、時には深く潜り時には浅く広がり、心地良くて刺激的な時間だった。
このイベントでファシリテーションの存在を知り、その魅力に魅かれていった。
ファシリテーターの修行
北海道のイベント以降、僕はファシリテーションを学ぶために、積極的にワークショップに参加した。
環境問題に関心を持つ大学生のワークショップ、地域おこし協力隊主催のワークショップ、市主催の駅の無人化を話し合うワークショップなどなど。
そのうちワークショップに参加するだけでは満足出来なくなり、自分でもワークショップを開催するようになった。
信州大学の学生を集め、マインドマップを使ったワークショップや、ワールドカフェ方式のワークショップを開催した。
今思い返してみると、僕が開催していたのは「自己啓発セミナー」の類のものだったので、大学職員から見たら相当怪しい奴だったと思う。
ファシリテーションの魅力に取りつかれワークショップを開催していくうちに、次第に「ファシリテーションの難しさ」を感じるようになった。
参加者の気づきを引き出し、行動を促す。
これこそがファシリテーションの神髄だが、残念ながらそれを達成できたと感じたことがなかった。
大学院生時代は、ファシリテーターとしての「挫折感」だけを感じていた。
途上国の人々との話し方
青年海外協力隊に参加することになり、僕はますますファシリテーションの技能を身につける必要性を感じていた。
それは、国際協力の現場で主流となっているロバート・チェンバースが提唱する「参加型開発」を実現するためだ。
しかし、僕は日本語でも満足にファシリテーションすることが出来ない。
では、スペイン語ならファシリテーション出来るだろうか、いや出来ない。
ということは、「パナマでワークショップを開催しても、参加者の気づきを引き出し、行動を促すことは不可能なのではないか?」と考えるようになっていた。
そんな時に、一冊の本と出会った。
「途上国の人々との話し方 -国際メタファシリテーションの手法-」
著者は和田信明さんと中田豊一さん。
この本を手に取ったのは、もちろん「ファシリテーション」という文字に心が魅かれたからだ。
そして、読んでみるとますます僕の心は、この本に魅かれていった。
ファシリテーションについて悩み苦しんでいた僕にとって、この本で提唱している「メタファシリテーション」という技法は、まるで救世主のように感じられた。
メタファシリテーションとは、「相手と一対一で、事実を問う質問をすることにより、相手の気づきを引き出すという会話術」のことだ。
メタファシリテーションの実践
青年海外協力隊としてパナマに派遣されてからしばらくは、プロジェクトで始めた学校菜園の共同作業日に巡回に行き、集まった村人に対して栽培指導を行っていた。
学校菜園に行くだけで、一度に10名から20名程度の村人と会話をすることができたが、村人と一対一でゆっくりと会話をする機会は作れなかった。
そこで、集落に宿泊し「滞在型の農村調査」をすることにした。
出来るだけ村人の家に泊まらせてもらい、日中は集落内の家庭を一軒一軒訪問し、とにかく村人と一対一で会話する機会を出来るだけ作った。
メタファシリテーションの難しさ
「この植物は何ですか?」
このような村人が簡単に答えられ、かつ事実を問う質問を投げかけて会話が始まるが、その会話を繋げていくことがなかなか出来ない。
メタファシリテーションが目指す「事実を問う質問をすることで相手の気づきを引き出し、行動を促すこと」が、とても難しい技術だと途上国で実践してみて気がついた。
メタファシリテーションから得た物
村人の気づきを引き出し、行動を促すことは達成できていない。
しかし、メタファシリテーションの実践から得た物もある。
それは、「村人との距離が近くなったこと」と「村人の人間関係に気づいたこと」である。
それはメタファシリテーションの実践のために、発生した以下のような理由からだろう。
1.集落に宿泊し、寝食を共にした。
2.一対一で会話する時間が持った。
3.村人から教わる姿勢で接した。
その結果、村人の共同作業に誘ってもらうことが出来たり、少しずつだが心を開いてもらえているように感じる。
また、共同作業で指導しているだけでは気づけなかった「村人の人間関係の問題」にも気づくことが出来た。
一見、仲良く暮らしているように村人たちも、実は仲が良い人とそうでない人がおり、村の中に3つほどの「住民グループ」が出来ていた。
「途上国の人々との話し方」の再読
「途上国の人々の話し方」は日本で熟読したので、パナマには持って来なかった。
しかし、あることが原因でこの本をもう一度読みたくなり、2013年12月に日本から送ってもらった。
それは、駒ケ根訓練所でメタファシリテーションについて議論をしていた協力隊の同期が、「著者の和田信明さんと中田豊一さんと会って話をした」とfacebookに投稿をアップしていたからだ。
「著者のお二人と直接会って話が出来たなんて、超うらやましい!」と思った僕は居ても立っても居られなくなり、日本から本を取り寄せて再度読み返すことにした。
途上国の人々と話すようになってから、「途上国の人々との話し方」を読み返してみると、日本に居た頃とは本から吸収できる量と質が違う気がする。
つくづく、勉強と実践を同時に出来る環境にいることに感謝するばかりだ。
これからも、「途上国の人々との話し方」を読みながら、集落の村人と交流し、村人の気づきを引き出し行動を促すメタファシリテーションの実践を目指したい。
これから国際開発へ挑戦したい人は、絶対に読むべき本だ!