旧友とのメールでのやり取り
久しぶりに、大学時代の旧友とメールで連絡を取った。
きっかけは、「ミヤが書いた『農業活動レポート』が読みたい」という彼からのメールだった。
旧友からの久しぶりの連絡に嬉しくなり、さっそく第一号レポートと第二号レポートをまとめて送った。
ちなみに、奄美大島の温泉で超能力喫茶店の噂を聞いてきた、あのF君である。
参照:もしかしたら僕の運命は超能力者に曲げられたのかもしれない。|JIBURi.com
一週間ほど経ち、彼から感想が送られて来た。
「きちんと反応を返してくれるところが彼らしいな」と思いながら感想を読み、「彼の感想」に対しての「僕の感想」を送り返した。
その後も、何度かメールでのやり取りを繰り返した。
そこでのやり取りは大学生時代のふざけた会話ではなく、日本の農業政策の話や、国際協力の話、青年海外協力隊の実態に関するものだった。
自立支援という言葉
そのやり取りの中で、「自立支援」という言葉が話題に上った。
日本のような先進国でもパナマのような発展途上国でも、障がい者、高齢者、児童、貧困に苦しむ人などの「社会的弱者」を対象に自立支援という活動が行われている。
今回のやり取りで話しの対象になったのは、「農家に対する自立支援」である。
例えば補助金や技術指導など、農家の自立を支援する活動が日本でもパナマでも行われている。
『しかし「自立」と「支援」とはそもそも対義語なので、「自立支援」とは矛盾した行動なのではないか?』
という彼の鋭い指摘が、僕の頭にこびり付いて離れなくなった。
パナマの栄養改善プロジェクト
自立支援に対する鋭い指摘を、自分の活動に落とし込んで考えてみた。
僕が参加している栄養改善プロジェクトも、「貧困地域に暮らす住民の自立支援活動」である。
野菜の栄養価値を教え、野菜の育て方を教え、物の売り方を教え、プロジェクト終了後も住民だけで栄養改善を継続できるように支援することが目的である。
言い換えると、支援がなくても自立できるように、支援している。
というか、建前はそういうことになっている。。。
援助する側から見た自立支援
国際協力の世界では、「援助への依存を生んでしまうので、物や金をばらまくのはやめよう!」という理論が浸透している。
代わりに、「技術やノウハウを伝え、自立を支援しよう!」というわけである。
この考え方は、「魚の代わりに、釣竿と魚釣りの方法を教えるべき」と例えられている。
僕が参加しているのは、保健省主催の栄養改善プロジェクトである。
保健省の中には、栄養改善プロジェクトのための「部署」があり、その職員は仕事として援助を行っている。
もちろん青年海外協力隊も援助することが仕事だ。
実際には僕らは援助するために、自立支援を行っているのではないか?
自分で自立したい人を支援したい
ここに「援助したい人」がいたとする。
その人が出来ることは、自立支援である。
援助した人を自立させようとする。
別の場所に「自立したい人」がいたとする。
その人が出来ることは、自立である。
自分で自立しようとする。
僕がすべきことは、援助した人を自立させることではなく、自分で自立しようとしている人を援助することではないか?
国際協力に対する疑問・モヤモヤ
旧友からのメールのせいで、モヤモヤといろんなことを考えてしまった。
彼の視点は僕とは異なり、新しいモノの見方を教えてくれ、いつも刺激をくれる。
僕の頭の中にはまだ、「自立支援」という言葉がこびり付いている。
僕はこの手の問題を、解決することが苦手だ。
そして彼も、この問題を解決できている訳ではなさそうだった。
彼は日本で、悩みながらも仕事を頑張っている。
僕もパナマで、悩みながらも活動を頑張ろう。