ブログという情報源
世界中にネットが普及した今、ブログは立派な情報源になる。
実際ぼくは青年海外協力隊に参加する前に協力隊の情報を、協力隊員のブログから得ていた。
そこにはJICAが作った機関紙にはないリアリティがあり、協力隊参加後の自分の暮らしや活動をイメージすることが出来た。
いろんな隊員のブログを見ていたが、なかでもお気に入りはエルサルバドルの村落開発隊員が書いていた「独想の日常」というブログだった。
独想の日常
独想の日常というブログは、東京大学大学院を休学して協力隊に参加した「shogooon」さんが書いていた。
ぼくはまず東大大学院を休学して協力隊という経歴に目を奪われ、そして彼が書く文章に引き込まれた。
なぜなら彼が書く文章は、真面目なことを面白く表現していたからだ。
まるで、硬いことを柔らかく。
届きにくいものをちゃんと届けてくれた。
たとえば、こんな軽くて読みやすい投稿がある。
とはいえ、ガッツリ根元から折られた、喪失感と失望感とガッカリ感と無力感と怒りと哀しみと馬鹿らしさと喪失感と失望感とガッカリ感と無力感と喪失感と失望感とガッカリ感と無力感と喪失感と失望感とガッカリ感と無力感と「なんの罰ゲームだよこれ」感は否めるはずもなく。
独想の日常より引用
これだけ読むと全然意味がわからないし、頭おかしい人のブログかと思ってしまうほど面白い。
しかし面白い投稿だけでなく、自身の活動に問題提起をするような真面目な投稿もある。
【メモ】貧困問題的なのモノへの手法の決め方の一手として|独想の日常
一つは、金そんな無くとも自活が回っている後者と、金無くて自活も回っていない前者の違いが如実に出たのではないかということ。
後者は多少貧しくとも、貝を掘りにみんなで行きそれを売って外部から大きな援助を受けること無く自活している。
前者は、貝を売る市場がないことも大きな要因で、一見働いているようにも見えるが実は外資NGOからの援助なしでは回らない状況である。
我慢強く、働き続ける後者 と 今とりあえず楽に生きてるから大丈夫という前者。
独想の日常より引用
この投稿なんかは、モロに今のぼくの活動の参考になる。
この真面目な文章と読みやすい文章の割合や使い分けが心地良くて、ぼくはこのブログのファンになった。
ググると上位でヒットするし、すでに任期を終えて帰国した今でも人気が高くて多くの人に読まれていると思う。
JIBURi.comの目指す姿
ぼくがこのブログを書いている意味の一つは、青年海外協力隊の情報発信をすることだ。
ぼくが協力隊参加前に独想の日常を見ていたように、JIBURi.comもこれから協力隊を目指す人の情報源として使ってほしいと思っている。
ペイ・フォワード(恩送り)をしたい。
独想の日常のように多くの人に読んでもらえるように、ガチガチに真面目な協力隊ブログにするのではなく、協力隊の恋愛の話など軽めな話題も書いている。
まだまだ文章力も活動も及ばないが、独想の日常のような協力隊の情報源を目指して、これからも書き続ける。