JICAパナマのクラントロ産地
ぼくは青年海外協力隊員としてJICAパナマに所属している。
先月、そのJICAパナマの過去に行った「クラントロの産地化プロジェクト」の村に視察に行ってきた。
このプロジェクトは成功事例として、パラグアイやホンジュラスなどの中南米の国々から視察が訪れている。
JICAパナマの成功プロジェクト視察に12名のパラグアイ人と参加した。|JIBURi.com
そして、今月の頭にその時に撮った写真を持ってぼくの村にあるクラントロ産地に行き村人と話をすると、実はその産地はJICAパナマのプロジェクトをマネして始めたという事実を知った。
村のクラントロ産地にJICAプロジェクトのクラントロ産地の情報を横流ししたら、意外な反応が返って来た!|JIBURi.com
JICAパナマのプロジェクトが、「成功事例」としてパナマ国内の他の地域にまで影響を与えていた。
成功事例の影
どんな分野でも成功事例はもてはやされ、他の地域、団体にマネされる。
国際協力の分野でも同じだ。
ムハマド・ユヌス氏が行ったグラミン銀行のマイクロファイナンスが成功すれば、成功事例として祭り上げられ、いまや世界中の国際協力の分野でマイクロファイナンスが行われている。
ぼくが働くパナマの農牧省でもマイクロファイナンスのプロジェクトがあり、一緒にマイクロファイナンスのための会議に出たり、貸したお金で購入した物品の輸送を手伝ったりしているが、グラミン銀行のように機能しているとはいえない。
また、日本の大分県で始まった一村一品運動が日本中に広がり、そして今では世界中で一村一品運動が行われている。
一村一品運動も「地域づくりの手段」として始まったはずなのに、今ではただの商品開発、特産品作りの手段になってしまっている。
成功事例は他の地域でも上手くいくとは限らない、いやほとんど失敗すると思う。
そんことを考えるのは、ぼくが活動している集落でまさに成功事例の失敗を見たからだ。
ニワトリビジネスの失敗と失敗
ぼくが活動している集落では、少し前まであるNGOが活動していた。
彼らは20軒の家族にヒヨコを無料で配布し、ヒヨコのエサと水やり器、エサやり器などを無料で与えた。
そして、NGOの職員は村人にこう言った。
「ニワトリの肉を売ってお金を稼ぎなさい。売ったお金でヒヨコを買って、またニワトリの肉を売りなさい。そうすれば、あなたたちはお金持ちになれますよ」
どこの成功事例かは知らないが、このようなニワトリビジネスは世界中の国際協力の分野で行われている。
青年海外協力隊でもニワトリビジネスの普及をしている隊員も多い。
もちろん村人は大喜びでニワトリを飼い始めた。
そして数か月後、ニワトリが十分に大きく育ったので、村人はニワトリの肉を売り始めた。
すべての家が看板を作り家の前に置いたが、残念ながら一羽も売れなかった。
なぜならば、村のほとんどの家が同時にニワトリビジネスを始めたからだ。
ニワトリの肉の需要はほぼなく、しかも供給過多だった。
どう考えても、売れるはずがない!
そのうち、ニワトリは病気にかかり死んでいった。
村人にはどうすることも出来なかった。
それは、ニワトリの病気を治す薬はNGOからもらえなかったからだ。
NGOは成功事例というだけで、この村のニワトリの肉の需要も調べずにニワトリビジネスを始めさせた。
これは、商品の市場調査もせずに起業させたのと同じことだ。
悲しいことにこの話はまだ続く。
ぼくが参加しているプロジェクトが、同じ村でニワトリビジネスを始めることになった。
全く同じことをまた村人にやらせるのだ!
プロジェクトの職員は村人にこう言った。
「ニワトリの肉を売ってお金を稼ぎなさい。売ったお金でヒヨコを買って、またニワトリの肉を売りなさい。そうすれば、あなたたちはお金持ちになれますよ」
ぼくがこの村でニワトリビジネスが失敗したことを説明しても、プロジェクトの職員は耳を貸さなかった。
肉の売り先なんて知ったこっちゃないそうだ。
ぼくの全財産を賭けてもいい、今回もニワトリビジネスは絶対に失敗する!
成功事例の中の成功事例!
ニワトリビジネスのせいでぼくは成功事例に嫌気がさしていたが、クラントロ産地の波及効果を知って、成功事例の良さも知ることが出来た。
青年海外協力隊の活動としても、成功事例を作ることが奨励されている。
たった一人の協力隊の力では2年間で派遣国を変えることは出来ないが、成功事例を一つ残せばその波及効果により少しずつ変えることが出来ると言われている。
「そんなうまくいかないよ~」と思っていたが、クラントロ産地の事例からその効果を学んだ。
JICAパナマのクラントロ産地化は、成功事例の中の成功事例だと思う。
ぼくも成功事例をパナマに残したい。
そして、成功事例を闇雲にマネする体質をぶっ壊したい!