本に埋もれながら溺死したい。
最期の瞬間は誰にでも平等に訪れるが、シチュエーションは人それぞれである。
家で死ぬ人も、病院で死ぬ人も、屋外で死ぬ人もいる。
誰も死からは逃れられない訳だが、それならいっそどんなシチュエーションでなら「自分の死」を受け入れられるか考えてみた。
そして、ひとつ思いついた。
最期を選べるのならば、僕は本に埋もれながら溺死したい。
本を読むようになった出来事
僕は「読書なんぞ時間の無駄だ」と長い間考えていた。
正確に言うと、生まれてから23歳までだ。
今25歳なので、本当に長い間僕は読書が嫌いだった。
23歳の頃、僕は大学院生で東京の大学生とディベートっぽいことをしていた。
彼はネパールの環境問題に対して取り組んでいる学生団体のメンバーで、慶應義塾大学の3年生だった。
イベントのグループワークで僕と彼の意見が真っ向から対立し、ファシリテーターの提案で「それでは二人の議論を聞いて、他の参加者がどちらに賛成するか決めよう」という話になった。
当時大学院生だった僕と学部3年生だった彼は議論を行い、それを聞いていた他の参加者がどちらの意見を支持するか多数決を採り、そして僕が負けた、しかも完敗だった。
2学年下の学部生に議論で負けたことは、かなりショックで屈辱的な出来事だった。
勝敗の差は、「知識量、論理的な思考力、そしてそれを伝える表現力の差だ」と感じた。
この差を埋めるために、屈辱的な思いを胸に僕は23年間封印していた読書をすることを決意した。
平安堂パナマ店オープンを切に願う
それ以来すっかり読書にハマり、もはや本中毒になってしまった。
日本にいた頃は、大学と市の図書館と本屋、ブックオフに通っていたが、パナマではそのどれも存在しないため本を入手できない。
ちなみに長野県で本屋と言えば平安堂であり、その一号店は我がふるさとの飯田市にある。
「平安堂パナマ店が出来たらいいな…」と願っているが、そんな奇跡は起きないだろう。
なんなら、僕が店長をしてもいい。
本の仕入れ
日本に一時帰国して大量の本を購入し、以前から持っていた本も合わせてパナマに持ち込んだ。
これは平安堂パナマ店オープンに向けての仕入れも兼ねている、わけではない。
仕入れたのは、以下の本である。
【 平安堂パナマ店の本棚 】
世界一やさしい問題解決の授業
国際協力に生きる
スペイン語のしくみ
アイデアのつくり方
ホテルに騙されるな!
開発調査というしかけ
キレイゴトぬきの農業論
伝え方が9割
日本農業への正しい絶望法
コミュニティデザインの時代
ひぐらし神社、営業中
人生の100のリスト
新・スペイン語落穂ひろい
道は開ける
ビジョナリー・カンパニー
考具
7つの習慣
ジェンダーで学ぶ文化人類学
道をひらく
「週4時間」だけ働く。
影響力の武器
ウケる技術
武士道
ラテンアメリカ経済成長と広がる格差
スペイン語の本、日本農業の本、コピーライターの本などさまざまなジャンルの本を仕入れた。
大量の本のおかげで帰りの飛行機では、預け入れ荷物の荷重オーバーで追加料金を払った。
スーツケースの容量の関係で、仕入れられる本の量にも限界があったので、しぶしぶ諦めた本も多い。
薄い救世主
たくさんの本を読みたいが、持ち運べる量に限界がある。
そんな悩みを抱える僕を、彼が救ってくれた。
Google社のタブレット「Nexus7 (2013年バージョン)」である。
Nexus7でkindleから電子書籍をダウンロードして、新しいスタイルの読書を始めた。
最初に買った電子書籍は、「諦める力 (為末大)」である。
生まれて初めて利用したが電子書籍ってやつは、なかなか便利である。
Nexus7とは、パートナーとして長い付き合いになりそうだ。
ずっと一緒にいたい、最期のときまで。
人生の最期を選べるならば、僕は本に埋もれながらNexus7と共に溺死したい。